暇のパラメータ

暇なので書いてます。

托鉢僧にお布施をした

1月4日。町はようやく本格的に動き出している気配。

私は今日も休みだったので、髪を切ろうと決めていた。

 

私は今、故あって山梨県に住んでいる。

山梨県民は東京に出かけるとき、特別な理由がない限り、立川までが限界である。確実にそこに境界線があり、山梨県民は皆、八王子か立川で十分事足りると口にする。

 

というわけで立川で髪を切った。

散髪を滞りなく終え、昼食は良さげなうどん屋に入った。

そこのお店は小・中・大と麺の量が設定されている店であり、いわゆる並盛はこの場合、小なのか中なのかと一瞬疑問に感じてしまった。まあ小1玉、中1,5玉、大2玉みたいな感じになっていると想像し、カレーうどん小の食券を券売機で購入した。

すると券売機の釣銭口に私のものでない小銭が残っていることに気づいた。

なんとか前に使用したであろうお客さんを推測し、無事お釣りを渡すことができた。

 

肝心のカレーうどん小だが、小という言葉の響きに惑わされているのか、ちょっと量が少なく感じられ、すぐに食べ終わってしまった。同じ量でも並という表現であればもう少しお腹が膨れたような気もする。美味しかった。

 

まだ少しお腹が満ちていなかったので、駅ビルの中の良さげな点心屋さんであんまんを買った。が、早速一口食べてみるとそれは肉まんだった。これが産婦人科であればとんでもない取り違えである。

取り換えてもらおうかとも思ったが、注文時の私の発声が曖昧だった点、受け渡し時の確認をスルーしてしまった点、食べる前にこれは肉まんかもしれないと危険予知していなかった点を踏まえて、自分の過失として肉まんを受け入れた。美味しかった。

 

その後は駅ビルの本屋で立ち読みに勤しんだ。

するとアジア系外国人の青年から、ユニクロはどこですか?と声をかけられた。

私は立ち読みしていた本を所定の場所に戻し、青年をユニクロに誘導した。

青年は本当に案内が必要なのかと思ってしまうほど、流暢な日本語だった。自慢の英語力を披露できなかったことに安堵しながら、青年を見送った。

 

また本屋で立ち読みに舞い戻ると、車椅子の女性が私の横で本を取ろうとして、平積みの山を崩してしまった。

私は本の山をもとに戻し、女性に本を手渡した。

 

 

 

 

 

 

その時には私もはっきり自覚していた。

 

 

 

 

今日の俺は徳が高い。

 

 

うどん屋の釣銭をあるべき場所に返し、あんまん取り違え事件を穏やかに受け入れ、外国の方や障害を持つ方の手助けも微力ながらしている。

 

思えば、普段は無視する美容師の軽薄軽妙な雑談にも愛想よく返せていた。

 

今日の俺は徳が高い。

 

 

 

こうなったら今日を最も徳の高い日にしようと私は画策した。

まず最初に浮かんだのは献血だが、先月に行っているためできなかった。徳が高い。

何かないかと考える中、ふと駅前でいつも見かけるお坊さんを思い出した。

 

ネットで調べてみると托鉢というものらしい。なにやら修行僧にお布施をすることで、徳を積むことができるとのこと。今日のテーマにふさわしい。

 

ただ一つ問題があった。私はなんとなく修行僧の格好が怖いのである。ピエロ恐怖症のようなものだろうか。本来ありがたい存在のはずの修行僧がなんとなく怖いのだ。

そういえば戦国無双でも、僧兵は怖いと感じていた。深編笠をかぶり高速回転しながら斬り付けてくる虚無僧は、かなりの恐怖映像として目に焼き付いている。

 

とはいえ今日の私は徳を積まなければならないので、どうにか恐怖心に打ち勝つ方法を考える必要がある。

私は托鉢僧をストリートパフォーマーとして捉えることにした。

 

私は大道芸が大好きで、街中で大道芸人を見かけると必ず立ち止まり、投げ銭をしてしまう。

要は同じことだ。修行僧の格好をした大道芸人が、投げ銭に反応してパフォーマンスをしてくれるのである。

 

ドキドキしながら托鉢僧に近寄っていく。途中落ちているごみを拾う。徳が高い。さらに近づく。そして鉢に500円玉を落とした。胸の前に掲げられた鉢にお金を投げ入れる訳にもいかず、かなり接近しなければならないのが緊張した。

お布施に反応して高速回転しながら斬り付けてくる映像が一瞬浮かんだが、実際にはお礼代わりに鈴をシャンと大きく鳴らしてくれた。

 

かくして私はお布施という、徳の高い行動を無事成し遂げた。まあ、この手のことはやってみると意外とあっさりとしているものである。

しかし緊張から解放されたことも相まって、徳が最高潮に高まっていくのを確実に実感した。

 

満足した徳の高い私は、本屋に戻り、立ち読みしていた本を最後まで読み切って、気分良く岐路についた。