暇のパラメータ

暇なので書いてます。

車が汚い。

車が汚い。

そりゃそうだ。もう一年近く、碌に洗車もしていないのだから。ウインドウォッシャーでかろうじての視界を確保しているが、車体は砂汚れが何重にも積層し、ホイールはブレーキパッドの削りカスで茶色く染まっている。扉の開け締めの際にうっかり変なところを触ろうものなら、手が真っ黒に汚れてしまう有様だ。

車に愛情を持って接していないのは、どこからどう見ても明白である。

事実、車には全く興味がない。ただ、故あって山梨県に住む際に、さすがに生活に困るので車が必要になった。そんな時に、ちょうど上司が車を買い替えるということで、安く譲り受けたのである。スムーズに車を手に入れられて非常に助かった。

ただ一つ問題をあげるとしたら、その車が外国製のそれだったことだ。私はただ生活の足が欲しかっただけなのだが、以来、分不相応にスポーティな外車に乗り続けている。

 

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それにしても汚い外車に乗っているというのは、周囲からの心象はかなり悪そうである。おおよそマンションの方々には、ボンボン息子が親に買ってもらっただけ、と思われていると推察する。

というか譲ってくれた上司も近場に住んでいるので、遭遇するのがとても気まずい。メンテナンスノートを見ると、上司は非常にこまめにディーラーに見てもらっていたようで、この車をとても大切に扱っていたことが分かる。そんな愛車が今や砂まみれ、泥まみれの酷い目にあっているのだ。この惨状を一目見ただけで、ああこいつはそういう奴なんだなと思われてしまいかねない。そしてお察しの通り、私はそういう奴なのである。

 

せめて持ち前の走行性能を活かしてあげられれば良いのだが、あいにく私はセーフティドライバーであるため、加速は緩やかに、カーブもGを最小限に、車線はキープレフトと、非常に物足りない運転をしてしまっている。280キロまで示せるスピードメーターが泣いている。

走行面以外にも、何か色々なボタンがあるので、この車に搭載されている機能はまだまだありそうではある。しかしもちろん何にも使っていない。何なら誤って緊急脱出ボタンを押してしまい、運転席がいきなり跳ね上がって上空へ排出されると困るので、極力スイッチは押さないように心がけている。

 

全くとんでもない里親のもとに来てしまったな、と他人事のように哀れんでみたりする。

 

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年の瀬となり、世のお父さんたちが大掃除のプレッシャーから逃れるように洗車を始める頃。私の車は依然汚い。

駐車場に並ぶ車の中でも際立って汚いため、同じマンションの方々にも、こいついい加減車洗えよ、と思われていると推察する。

 

それに対して隣に車を止めているお兄さんの車好きなこと。ブルーのスポーティな車を毎週のように手入れしている。今日も今日とて嬉々として洗車をしていた。私の目には全然汚れは見当たらないのに。いったい何が楽しいのやら。そう思いながらまじまじと眺めていると、私の視線に気がつき、お兄さんは軽く会釈をしてくれた。その際、この車は洗わないのかい?と目で語りかけられた気がしたので、こんな寒い日に洗車なんてしませんよ、と言わんばかりの会釈を返しておいた。

失礼ながら、洗車の何がそんなに楽しいのか、全く理解できない。私は部屋に戻り、先ほどの場面を反芻しながら、最近はまっている耳かきの動画をぼうっと眺めていた。人によっては気持ちが悪いと思われるだろうが、大量に詰まった耳垢がごっそりと取れる瞬間は得も言われぬ心地よさがある。

 

……その時、私はあることに気が付いた。あのお兄さんはこの感覚を求めて車を洗っていたのではないか。

要は車から汚れがごっそり落ちる姿にスッキリ感を得たい、ということである。汚いものが綺麗になっていく過程には、人を惹きつける魅力がある。

そう考えると色々と腑にも落ちた。確かに耳掃除にはまりすぎてしまうと、まだ対して汚れがたまっていないのに、掃除をしたくなってしまうことがある。

 

となると、である。もしかして私の車は、お兄さんの目には宝の山のように輝いて見えているんじゃなかろうか。いや絶対そうだろう。私だって耳の中の汚れがたまっていればいるほどテンションが上がるもの。

つまりあの時のアイコンタクトには続きがあり、この車は洗わないのかい?しないなら俺にやらせてほしいんだけど、という下の句があったに違いない。それに気が付かず、私は何故あんな皮肉交じりの会釈をしてしまったのだろうか。なんて愚かな行動。愚行。2022年最後にして、最大の後悔である。

 

ちらりと駐車場の様子を伺うと、お兄さんはまだ車を拭いていた。チャンスはまだ終わっていない。あのー全然俺の車も洗ってもらって大丈夫ですよ。そう声をかけに行こうと思った。しかし一度提案を断ってしまった手前、すぐに話しかけるのはいくら何でも図々しすぎる。その思いが私の足を止めてしまった。こういう時に変に遠慮することなく、ずけずけと話かけられる方が人生得すると分かっているのに。私にはどうにもそれができない。2023年へ課題を残す結果となってしまった。

 

まあでも、そのうちまた向こうから、車を洗わせていただけませんか、と言ってくると思うので、もうしばらくは汚い車のまま様子を見ようと思う。

 

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特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと