暇のパラメータ

暇なので書いてます。

多分もう戻せない

私は割と旅行好きな方だと思う。最近は行けていないが海外旅行も年一回は行っていたし、土日でふらりと近場に出かける旅であれば、月1回以上は行っている気がする。

しかしどうにも荷造りが嫌いだ。国内の近場なんて別に準備のやりようもないが、それでも支度をしなきゃと思うと憂鬱になる。特に海外旅行となれば最悪である。

出発の日が近づくにつれて増していく旅のワクワク感。それにべったりと張り付いて忍び寄る荷造りのかったるさ。プラスマイナスの感情に精神をねじ切られながら、結局何もせず当日の朝を迎える。そして強引にどたばたと荷物を詰め込んで出発。それが旅の常だ。出発してしまえばあとは楽しいだけなんですけどねえ。

当然のこととして、荷ほどきも同様に嫌いである。そのため可能な限り荷物を片付けずに、そのまま次回の旅行に繰り越すというスタイルを取っている。

 

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今週のお題「カバンの中身」

 

前段が長くなってしまったが、要は日常使っているカバンも同様で、一切の整理などはなく、基本的に入れっぱなしているものがただ入っているという状態である。逆にずっと入っていたものを何かの拍子で外に出してしまうと、それから全く持ち運ばなくなってしまうことが多々ある。

ちなみに私はナップサックを愛用している。雑多にものを持ち運ぶための袋という感じがなんか良い。

 

今ナップサックに入っていたもの

折りたたみ傘

別に急な雨に対応しようと考えてナップサックに入れている訳ではない。

ただ単に長い傘を持っていないのだ。そのため日常使う傘として折りたたみ傘を使用しており、どんな大雨であろうとその一本で戦っている。そしてその折りたたみ傘を普段置いておく場所が、たまたまナップサックの中なのである。この微妙なニュアンスが伝わるだろうか。

まあ思考は違えど結果は同じなので、急な雨が降った時には非常に助かっている。そしてそのたびに「なんかたまたま折りたたみ傘が入ってたんだけど。ラッキー!」と幸運に心躍らせている。この幸福の感じ方は、雨が降るかもしれないと事前に考えて、用意周到にカバンに折りたたみ傘を入れている人間にはできない芸当である。ちょっと人生得していると毎回思う。

 

カードケース

雑多なカード類をパンパンに詰めたカードケース。期限切れの世界堂の会員証や二度と行く見込みのない病院の診察券など、半分以上はいらないカードで構成されている。

 

献血カード

何故かカードケースの中ではなく、裸の状態でナップサックの内ポケットに入れられている。献血カードの記載によると私はこれまで7回献血に行っているようだが、一度も献血カードを出し忘れたことはないので、まあ良しとする。

 

色褪せたレシート

しわくちゃのパンフレット

朽ち果てかけたポケットティッシュ

もういつから入っているのか分からない紙たち。

 

携帯用キーボード

外で文章を書きたいときに便利かなと考えて、最近購入した。折りたためるのでコンパクトになる点は良いが、ずっと入れておくには少し重たさを感じる。これは一度ナップサックから出してしまうと、それっきりメンバー入りできないという確証がある。少なくとも元を取れるくらい使うまでは、ずっと入れっぱなしにしておきたい。

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上の写真を撮るために携帯キーボードを出したのだが、案の定今は机の上に転がしてある。多分もうナップサックの中には戻せない。

実際、この文章もフリック入力で書いている。

 

昨夜のカレー、明日のパン

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今週のお題「最近おもしろかった本」

 

昨夜のカレー、明日のパン

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ブックオフで購入。370円。すごく面白かった。

若くして夫をなくしてしまった主人公『テツコ』が義理の父『ギフ』と一緒に生活をする物語。辛く悲しいことが起きたあとも日常は続く。不思議な関係性の生活の中で、「暮らし」という尊いものが作り上げられているという感覚に、とてもグッと来るものがあった。やがて夫と息子を失った(ギフは妻も失っている)二人が、周囲の人物と関わりながら、少しづつその死を受け入れていく。そしてその過程で、周囲の人物の救いにも結びついていく。

特に好きなエピソードは、趣味を探すギフがテツコに知り合いの山ガールを紹介してもらう回である。紹介された山ガールを「師匠」と敬いつつも、年甲斐もなく若い女性に良いところを見せたいと張り切るギフが愛らしい。師匠の凛とした佇まいも好きで、私の思い描く理想的な山ガール像だと感じた。

ハラハラする展開や予想外の結末などは何もないが、むしろそれが素晴らしいと言い切れる素敵な本だった。

 

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この文章を書いていて思ったが、山ガールは今も元気でやっているのだろうか。この場合の山ガールとは特定の誰というわけではなく、山ガール全般を指している。この小説が発表されたのが2013年なので、執筆時にはちょうど流行っていた頃なのだろう。しかし現在では、山ガールという言葉自体がもはや死語のような感覚さえある。

その証拠に今この文章をスターバックスで書いているのだが、周りをざっと見回しても山ガールは一人も見当たらない。

 

……そりゃそうか。ここスタバだから。周りを見渡してしまった私の行動の意味のなさに少し恥ずかしくなった。

山にいてこそ山ガールなのであり、こんな昼過ぎにスタバで休憩しているような女性は、仮にどんなに山ガール然とした恰好をしていても決して山ガールではない。山にはきっと今も山ガールたちが生息しているはずで、ただ単に私の活動範囲と重なっていないだけに違いない。

にもかかわらず、こんな町中で山ガールがいないのかと探す行為は、町中で海ガールはいないかと水着ギャルを探しているのと同義である。

 

……それはさすがに違うか。

 

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スタバから出た後、寄り道して家に帰ろうとプラプラ歩くことにした。駅前を通りががると、ハイキング終わりと思われる10数名のおばあさんの集団が、円を組み点呼を取っている。皆、目に痛いほど蛍光色のパーカーを羽織っており、これならまず遭難することもないと思われる。

 

私の思い描く理想的な山ガールとは少し違ったが、早速山ガールと遭遇することができてしまった。この足で市民プールに行けばきっと、水中ウォーキングをする海ガールにも遭遇できるのだろう。

 

その一秒をけずりだせ

 

今週のお題「マイルーティン」

 

少し前まで毎朝片道1.5時間かけて電車通勤していた。

しかしそれは決して辛いものではなく、東京から山梨に向かう方面の電車で100%座れるので、本を読んだり音楽やラジオを聴いたりと非常に充実した時間を過ごしていた。なんなら、だいぶ紅葉してきたなぁなんてボックス席の車窓から山間部の景色を眺めて、おにぎりをもしょもしょと食べる、そんな行楽じみた趣さえあった。

 

ただ、その優雅な時間の前には非常に大きな困難が存在した。私の致命的な朝の弱さである。私は寝覚めが非常に悪く、起きてからしばらくの間はなんの機能もしていない時間が存在する。windows98と思ってもらっていい。

就業時間に間に合うためには、7時21分発の電車に乗らなければならなかった。私の起床時間は毎朝6時45分。そして7時10分くらいまでは、ただぼうっとする起動時間を過ごす。そこから何とか頭と体が覚醒し、大急ぎで支度をして出発するのが7時15分を過ぎたあたりになる。

私の家から駅までは普通に歩くと10分かかるので、この出発時間では到底間に合わない。そのため毎朝猛ダッシュして駅まで向かい、ギリギリで電車に滑り込んでいた。そしてその後は前述の優雅な通勤。

これが私の一連のモーニングルーティンであった。

 

時間のペース配分があまりにも下手すぎる。それは認める。

25分もぼうっとするなんてもったいなすぎる。もう少し早く動き出せば、朝っぱらから走らずに済むのに。それか起動時間が必要なのが分かっているなら、もっと早く起きればいいのに。そういった意見が至極もっともであることも理解している。

しかし、朝の私はそんな真っ当な意見など通用しない。今の私は早めに覚醒して落ち着いて駅まで向かいたいと考えているが、朝の私は全く言うことを聞かないぼんくら野郎なのである。何があろうと時間のギリギリまでぼうっと過ごすし、少し早く目が覚めたら、しっかり2度寝を楽しむのだ。

 

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家から駅までのコースは大きく分けて2つの難所があった。まず一つ目が、家を出てすぐの教習所を大きく迂回するためのカーブ。緩やかに上った後、緩やかに下るカーブなのだが、このアップダウンに体力と精神を削られる。教習所に侵入して突っ切ってしまいたいという衝動を抑えながら毎日走っていた。それができれば2分は縮まるというのに。

そしてもう一つが駅の手前の急激な上り坂。もうこれがとんでもない角度であった。赤坂5丁目ミニマラソンばりの心臓やぶりの坂である。

最後の急な上り坂のことを考えると、できれば前半で貯金を作っておきたい。前半から突っ込んで、後半は耐える走りを意識する。その一秒をけずりだせ。東洋大学陸上部のスローガンを勝手に拝借し、心の中で唱えながら毎朝ギリギリの戦いを続けていた。

朝の私はどう考えても削るべきは、ぼうっとしている25分の方だということに気が付かない。

 

そうして朝の猛ダッシュ生活を続ける中で、いつも大体同じ場所で追い抜くおじさんがいることに気が付いた。スーツを着た40歳前後の少し恰幅の良いおじさんで、走っている訳ではないが、かなり急いだ歩調で駅に向かっていた。彼も一秒をけずりだそうと必死だったのだろう。そして猛然と走る私に追い抜かされる。もはや彼にとっては、私に追い抜かされることがルーティンとなっていたはずだ。

普段は教習所のカーブを下る途中で追い抜くことが多かった。そのため上りの段階で追い抜いたときは時間的に余裕があることが分かる。逆に下りきった後に追い抜いた場合は、かなり遅れてしまっているので、最後の坂を全力で駆け抜けなければならない。

私はそのおじさんをペースメーカーと呼んでいた。

 

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そんな生活を3年くらい続けただろうか。最後の方は私の走力が上がってしまい、余裕をもって駅に到着できるようになってしまった。

 

ちなみに今は職場が徒歩15分の距離に変わった。電車に乗り遅れるプレッシャーは無くなったが、朝の私との闘いは続いている。

なんとか8分台前半を狙いたい。その一秒をけずりだせ。

 

ケバブ屋さんを見ると思い出す

ケバブとは何だか気になる存在である。

回転する肉塊のエンタメ性だろうか。外国の食べ物感満載であるにも関わらず、絶妙に万人受けする味だからだろうか。個人的にはケバブという言葉自体にも妙な魅力がある気がする。ケバブ。声に出したくなるこの濁音の感じ。ケバブピタパンとか言う半濁音の発声練習みたいなものに具材を挟む。そして出来上がるのがケバブ。あんなに可愛らしかったピタパンが突如ケバブという雄々しい言葉になられて。

 

理由はともあれ、私は街でケバブ屋さんを見かけると何だか気を引かれてしまう。そしてその度に、昔見たある光景を思い出す。

 

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ある時から、地元の駅前ロータリーにケバブ屋さんが来るようになった。

栄えていない地下鉄駅である。ファーストフード店も何もないロータリーにキッチンカーがあるので目立ってはいたと思う。しかし、いかんせん人通りが少ないのでいつも閑古鳥だった。 本来は陽気な(偏見)ケバブ屋さんの店主も曇った顔で、いつも所在なげにしていた。

 

ある日。私は大学の部活帰りで22時過ぎに駅に着いた。まだこの時間にもケバブ屋さんはいる。相変わらずの所在なげな顔が、回転肉を熱するヒーターの灯りで照らされている。辺りには人の気配もほぼ無く、モーター音まで聞こえるほどの静けさだ。哀愁がたまらなすぎる。

何故だがその光景に惹きつけられ、私はしばらくの間、遠巻きからケバブ屋さんを眺めてしまった。

ケバブ屋さんは私の視線には気づかない。そして暇のあまり、手持無沙汰かつ口寂しい状態に突入したのだろう。下に溜まった回転肉の削りかすをつまみ食いしだした。ちびっと食べ、少しぼうっとして、またちびっと食べる。虚ろに空中を見つめながら、つまみ食いが絶えることなく続いていく。つまみ食いのリズムは一定のようで一定という訳ではなく、その微妙な不規則性にも何故だか心地よさを感じた。

 

暗がりにジリジリと浮かび上がるその映像は、まるで焚き火のようだった。ただ穏やかな時間がそこにあった。これが1/fの揺らぎというものか。

 

体感で5分以上はその映像を眺めていた気がする。そうして、私がただ揺らめく時間に体をゆだねていると、おもむろにケバブ屋さんが車の外に出てきたのでハッとした。店じまいの時間だ。

私は急いで駆け寄った。素敵なものを見せていただいた礼に、ここはケバブを買わなければならない。帰りがけにラーメンを食べてきたところだが、それは関係ない。

 

慌ててケバブを一つ注文すると、店主は本来の陽気な姿(偏見)を取り戻し、得意気に回転肉を切り落としてくれた。小気味良い手つきでピタパンにキャベツを挟み、肉をこれでもかと乗せてくれる。そして仕上げにオーロラソース。私はお代と引き換えに完成したケバブを受け取った。見るからに美味しいことの分かるケバブだが、もはや私は先ほどの光景にお金を払ったようなものなので、お土産にこんな素敵なものまでいただいて申し訳ないという気持ちにさえなってしまった。

歩きながら食べるとこぼしてしまいそうなので、まずは店の前で一口かぶりつこうとしたとき、店主の視線を感じた。なので私は少し意地悪をして肉の削りカスを少しつまんで食べて見せた。

 

店主は陽気な笑顔を浮かべながら、まさか見てたのかい?と目で訴えてきた。

 

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ある日。私は渋谷にいた。もう何の用で行ったのかは忘れてしまった。5年以上前の話だ。

ふらふらと歩いているとケバブ屋さんのキッチンカーが目に入った。なかなか盛況なようで、行列という訳ではないが、常に人が2~3人並んでいる状況であった。店としては最高の回転状況だろう。私はお腹が空いている訳ではないが、吸い寄せられるようにケバブ屋さんに近づいていった。そして驚きの光景を見てしまった。

 

そこにはガリガリに痩せ細った回転肉があった。それはもうガリガリであった。何なら肉が刺さっていた銀色の棒が、角度によっては見えてしまっている。

そして今並んでいるお客さんの分で、もう削ろうにも削れないところまで来てしまい店じまいとなった。

店員さんは看板をしまい、清掃に取り掛かろうというところで、少し離れた距離でじっと見つめる私の視線に気が付いた。すみません売り切れなんです、と店員さんは目で訴えかけてきた。私はぼうっと肉のカスがこびりついただけの銀色の棒を眺めていた。そして店員さんの訴えに遅れて反応し、軽く会釈をしてその場を離れた。

 

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私はケバブ屋さんを見るたびに、上記2つの場面を思い出すのだが、いつも銀色の棒の映像のほうが濃く浮かびあがってしまって困っている。どちらかというと先の1/fの揺らぎの方がエモくて好きなのだが。

 

手帳と落書き

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今週のお題はてな手帳出し

 

手帳はもっぱら東レが作ったビジネス手帳を使用している。私の職場が東レとのつながりが強いので、毎年贈ってもらえており、社内でも非常に愛好者が多い。事務所に届いた直後に貰いに行かないとすぐに無くなってしまうほどだ。シンプルながらスエード素材の表紙が高級感があって、非常に素敵だなと思いながら私も使っている。

 

と、こんな上等な手帳を貰っておきながら、私は非常にずぼらでスケジュール管理を放棄した人間であるため、この手帳にスケジュールを書き込んだことは一切ない。完全にただのメモ帳として使用しており、何ならカレンダーの部分にも容赦なくメモを書き込んでいる。もっと言えば仕事上のメモが記入されているのは半分くらいで、残りの半分は電話中の落書きで埋め尽くされてしまっている。なんだか申し訳ない。

 

電話中の落書きといえば、ただ渦巻や丸やら三角やらの図形を繰り返す人や、書いた文字を太字にしたり派手にしたりと遊ぶ人、純粋に得意なイラストを描く人など様々な流派があるだろう。ちなみに私の場合は「うんちのイラスト」か「自分のサイン」の2パターンである。うんちについてはシンプルにどれだけ綺麗な巻きグソを描けるかに日々取り組んでいる。意外と形のバランスを取るのが難しく、続けていると「一つとして同じうんちは無い」という崇高な心持を獲得するにまで至る。

もう一方のサインについては、私が常々思っていることがある。お店屋さんなどで芸能人のサインが飾られていたとき、そのサインが誰のものか全く分からないほど崩されているのを見ると残念な気持ちになるのだ。もちろん忙しい芸能人にとって、サインを書くという作業はかなりの負担になるため、可能な限りスピーディーに書けるように進化していった結果だとは理解できる。しかし読み手側からすれば、誰のものかその場で分かるほうがやっぱり嬉しい。面倒くさい理想を言えば、見てそのまま過ぎても面白みに欠くので、ちょっと考えてから、あーあの人だ!となるぐらいの塩梅が好ましい。という訳でその絶妙なバランスを追求すべく、使う予定などないサインを練習している。

 

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ある日、外注先との打ち合わせにて、手帳を出した瞬間に違和感を感じた。手帳は使っていくことで、表紙のへたり具合やページの開き加減など、本人の癖が染み付いていくものだ。それがどこか違う気がした。ちらりと中身を確認してみると案の定。カレンダー欄に私が書くはずのない何らかの予定が書きこまれていた。絶対に別人の手帳である。この手帳が誰のものか判断するために、もう少し中身を確認したいところではあったが、さすがに人様の手帳は高度にセンシティブな情報であるためそれ以上は覗き見ることはしなかった。

もはや打ち合わせなどそっちのけで、私はこの手帳がどこで取り違われたのかを思案した。そしてハッと気が付く。午前中の会議だ。そこで隣に座っていた上司がそういえば全く同じ色の東レ手帳を使っていた。その際にお互いの手帳が入れ替わってしまったのだ。

最悪である。あんなうんちまみれの手帳を上司に見られたら、仕事に集中していない確固たる証拠を掴まれてしまう。これは直ちに何とかしなければならない。一切のメモも取らないまま、打ち合わせを早々に切り上げ、急ぎ事務所に戻る。すると幸運なことに上司は席を外しており、しかもデスクの上に手帳が置いたままになっていた。助かった。そう心の中で呟き、そのまま平静を装いながら上司のデスクのもとに向かい、自然な手つきで手帳を取り替えた。

自分のデスクに戻り、うんちを確認。間違いなく自分の手帳である。良かった。緊張から解放された私はさながら大仕事を終えたような謎の満足感に浸りながら、同じ手帳を使っている人がいるというのも考え物だなと反省した。そして次はちゃんとしたメモ帳を買おうと心に決めた。何故だかうんちの落書きをやめようという方向には発想が至らなかった。

 

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数日後。同僚からの仕事の電話を受けながら、その日もうんちとサインに勤しんでいた。正直めちゃめちゃ忙しい日だったのだが、そういう時に限って落書きは勢いを増してしまう。この落書きもきっと、ストレスが何らかの形で発現される類のものなのだろう。

電話を切って手帳を閉じるその瞬間、不意にあることに気が付く。あれっ。手帳を取り違えた日、会議の後にこの同僚と電話で話してなかったっけ。・・・まさか。背骨の湾曲に沿って一筋の汗が流れていく。やばい。その日の映像が一瞬にして浮かび上がる。間違いない。自分の手帳ではないと気が付く前に、あの日も落書きをしていた。

最悪である。上司の手帳にうんちを書いてしまった。しかもご丁寧に横には私のサインまで。もし見つかったら一発で犯人がばれてしまう。これは直ちに何とかしなければならない。上司のデスクの様子をちらりと伺うと、またしても上司は手帳を置いたまま席を外していた。平静を装いながらデスクに近づき、手帳を回収。そして落書きのページを丁寧に切り取って、元の位置に戻した。

恐らく上司はメモ帳欄をあまり使用していないので、この数日間も気が付いていないはず。そして破られた痕跡も根元から丁寧に切り取っているので分からないだろう。私はさながら完全犯罪を成し遂げたような謎の興奮に酔いしれながら、やはり同じ手帳を使っている人がいるというのも考え物だなと反省した。

そしてサインは今後、誰のものか分からないほど崩して書こうと決めた。

 

Camping Car Lifeというラジオ番組を聴いていた方いらっしゃいませんか

 

今週のお題「キャンプ」

 

故あって山梨県に住んでいた。

 

山梨にいるときは車通勤で、仕事中も車で外を回ることが多かったため、カーラジオが生活の一部であった。自分の車だとTOKYO FMなど首都圏の電波を問題なくキャッチできるのだが、社用車だとうまく受信できず音質がざらついた感じになってしまう為、特に聞きたい番組が無ければFM FUJIをずっと流しておくのが習慣だった。FM FUJI山梨県のFM局なのだが、ローカル局とはいえ劇団ひとりやらアルコ&ピースやらオフィシャル髭男dism(ベースの方)やらの番組が放送されており番組制作には力を入れている印象である。

中でも私は金曜20時から放送しているDJ KOOさんの番組「DJ KOO Presents Beat Goes On」を仕事終わりに聞いて帰るのがなんか好きだった。別にDJ KOOさんのファンではないし、なんなら特別面白いと思って聴いている訳でもないのだが、金曜の仕事終わりという状況も相まって、聴いているとなんか嬉しかった。そしてそうやってカーラジオが生活に結びつく感覚が好きだった。

 

ここで本題なのだが、FM FUJIの中で私がどうしても気になっていた番組が一つある。それは毎週火曜日15:44~15:54に放送されていた「Camping Car Life」という番組である。いや狭い分野に標準を絞りすぎだろうと初めて聞いたとき思わずツッコんでしまった。その名の通り、キャンピングカーの魅力を伝えるというテーマの10分間。山梨県のキャンピングカーメーカー「ミスティック」の一社提供ということで、ローカルFMの広告料の安さを勘ぐってしまう。

私自身キャンプ経験もほぼ無く、キャンピングカーを欲しいと思ったことなど一度もなかったので、内容としては興味をそそられるようなものではなかったが、しかしちょうどこの時間帯は仕事のリズム的に車の運転をしていることが多く、なんだかんだ結構な頻度で聴いてしまっていた。興味のない番組でもなんだか聴いていられる。これがカーラジオの魅力である。

Camping Car LifeのDJは高杉'Jay'二郎さんという方なのだが、この方の声が良かったというのも非常に記憶に残っている。まっすぐ届くような癖のない声質で、やはりラジオDJとは普通の人とは違った良い声を持っていると思わされた。かといって喋りが前に立つことなくゲストの話を引き出す姿勢もよかった。ちなみにゲストは9割以上の確立でミスティックの社長であったのだが。これが一社提供の力。

 

余談だが、高杉'Jay'二郎さんは毎週金曜日の同枠15:44~15:54に「ViVA!VENTFORET」という番組をやっていた。ヴァンフォーレ甲府の試合結果をラジオでダイジェスト実況するというこれまた難儀な番組である。最初はラジオダイジェストで試合なんて想像できないだろうと思って聴いていた。しかしこの番組を聴いた帰りに、職場のヴァンフォーレサポーターのおじさんと遭遇し、「いやー後半はチャンス作れてましたけどねー」なんてまるで試合を見たかのように会話できたことがあったので、ラジオでサッカーを伝えられることが証明されてしまった。

 

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この文章を書くにあたり、「Camping Car Life」について調べたのだが、番組は2020年9月に終了してしまっていた。ショックではあるが、それでも2017年の6月からスタートして3年以上この狭いテーマで番組が続いたことは凄いことである。

しかしそんなことよりも大きな衝撃が私に訪れる。なんと高杉'Jay'二郎さんは遊戯王のペガサス役の声優さんであったのだ。驚愕。あの特徴的な話し方とは全く違ったため分からなかったが、言われてみれば声自体の成分は共通するものがあった。なぜ気が付かなかったのか。当方初代遊戯王直撃世代。知ったときには思わず声をあげてしまった。これは耳をすませば天沢聖司の声が高橋一生であることよりも衝撃的な事実である。

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誰か「Camping Car Life」と「ViVA!VENTFORET」を聴いていた人はいないのか。この事実を知った感動を誰かに分かち合いたい。そんな行き場のない思いをここに書す。

 

ソニックアドベンチャー2の1stステージが素晴らしい

今週のお題「私がハマったゲームたち」

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私の中の価値観において「すばしっこさ」という点には非常に重きを置いている。端的に言えば「すばしっこさ」こそが強さであり、カッコ良さなのである。

幼いころより漫画でもゲームでも、お気に入りはいつもすばっしこい奴であった。パワー系のキャラクターなど好んで使うことは一度もなかった。むしろパワー系をスピードで翻弄することにこそ美学が存在した。

その感覚は私自身に対しても同様で、筋肉による雄々しい力強さなんて不要であり、身軽で高い敏捷性を持っていることがカッコ良いのだと、あらゆる筋トレを避け今日まで過ごしてきた。かと言って敏捷性を高めるためのトレーニングをしている訳ではないので、今のところただの筋トレ嫌いになってしまっている感は否めない。なかなかカッコ良い自分にはなれないものだ。

 

そんな私は私の価値観が決定されたのは間違いなく「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が影響しているだろう。私は昔からソニックが大好きであった。正直キャラクターものにあまり愛着があるタイプではなかったが、それでもソニックだけは明確に好きだと言っていたから、それだけ特別だったのだと思う。圧倒的スピード。絶妙なキャラデザ。キザなセリフ回し。全てが私の琴線に触れていた。

 

中でも私が最もハマったゲームが『ソニックアドベンチャー2』である。

 

ソニックアドベンチャー2の何が素晴らしいか

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2001年発売の本作品はソニックシリーズの中でも傑作と名高いようである。私は小学生~高校生にかけて、このゲームを長くやりこんでいた。

好きな点はいろいろあるのだが、とにかく音楽が最高。爽快感満点のゲーム性やストーリーの良さも魅力だが、やはりBGMが良すぎる。ファンの方からすればベタ過ぎる選択だと思うが、中でも私は1stステージ「City Escape」が大好きである。ソニックがヘリから脱出してスケボーで街を駆け降りるところから始まるのだが、坂を滑り降りる疾走感にBGMが最高に合う。1stステージにして本作を象徴するステージだと思う。

 

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やりこみ要素も非常に充実しており、シナリオクリア後の周回要素やチャオというマスコット的なキャラの育成要素など、やろうと思えばどこまでもやれるような素晴らしいゲームだった。

以前はサウンドトラックがプレ値で取引されていたようだが、ありがたいことに今はyoutubeやサブスクで解禁されている。最近はめっきりゲームをやらなくなって久しいが、今でもこのゲームBGMはたまに無性に聞きたくなる。そして聞くたびに少年時代を回顧し、やはり「すばしっこい」自分でありたいと再認識する。

open.spotify.com

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余談だが、私があまりにソニックが好きだということで、祖母がセガの株を買ったことがあった。株主優待で孫に何かプレゼントしようと考えたのだろうか。しかし当時はドリームキャストを発売したかどうかの時期。セガの株価がピークに達していた場面であった。以降セガは大赤字に転落する訳であり、おそらく私は祖母に大損をさせてしまったのだろう。

もしもあの時、私がマリオ好きであったなら。

 

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