暇のパラメータ

暇なので書いてます。

マルチタスクに疲れた夜に

今日は休みだったが、特に予定もなく、穏やかな起床。

朝食は必然的に昨日のトマトスープの残りになったが、どうしてもパンと食べたかったため、朝から最寄りのスーパーに買いに走った(蹴るキックボードで)。普段の朝食はご飯派だが、だからこそ休日の特別感が欲しかった。

という訳で更なる特別感を求めて、これまで買ったことのないフォカッチャを購入。昨日のスープと並べると味も見栄えも良く、とても素敵な朝食になった。なんかもうこれで良い休日感は達成できたので、あとはうだうだ過ごそうと決める。

 

昼前までうだって、散歩に出かける。今日は目的もなく隣駅まで。片道一時間弱かかるが、ラジオを聴きながらだと全然苦にならない。以前から散歩は好きだったが、ラジオを聴き始めてから休日の散歩時間は延びるばかりである。

ちなみに今日はSpotifyで配信されている『墓場のラジオ -Forest Stories-』をひたすら聴いていた。podcast界隈ではかなり有名なようだが、私は最近知った。そして猛烈にはまっている。仲良し同級生の2人組が楽しそうに談義しているだけなのだが、含蓄に富む話が多く面白い。

 

んで、そばを食べたり、古本屋を物色したり、来週の食材調達したり、3日連続でごみ袋を買い忘れたりして帰宅。

家に帰ってからは、またうだうだを満喫した。youtubeを見ながら他のyoutubeを物色したり、音楽を聴きながら麻雀ゲームをしたり、ドラマを見ながら夕飯食べたり。もはや何もしていないと言っていいような一日だったが、私的には非常に充実していた。

 

そして、なんだかんだで21時を過ぎた頃。何をするにしてもちょっと疲れた気がしてきた。一日暇な休日を過ごすと大抵こうなってしまう。どうしても何かをしながら他のことをするスタイルで溜まった趣味を消化してしまうが、マルチタスクは脳味噌の負担が大きいとよく聞く。多分それだ。

でもまだ寝るには早いので、この文章を書くことにした。私の持っている趣味の中で唯一、物書きだけは他のことをしながらではできない。以前は暇で暇でしょうがない時に文章を書いている感覚だった。しかし最近はマルチタスクに疲れた夜に文章が書きたくなるのだと考えている。

 

23時。そろそろ寝ます。

 

ラーメン二郎にて

長らく休業状態だった、ラーメン二郎立川店が1月29日にリニューアルオープンした。

何やら営業再開日の正式なアナウンスがない中、近隣のラーメン二郎が臨時休業となっている⇒新装開店の応援に行くということなのでは?という推測の元、深夜からとんでもない行列を作ったらしい。氷点下になる真冬の夜中に、開くともしれない店の前で列をなす生粋の方々には畏怖の念を禁じ得ない。

iine-tachikawa.net

 

私は決して二郎好きではないが、こういう二郎に対する愛を垂れ流す方々に目がない。なので実は暇なときに二郎ブロガーの記事を読んだりしている。そしてその都度、驚異の更新頻度とイカれた情熱に戦慄する。彼らは余裕で週5以上のペースで二郎を食べているのだが、いったいどんな暮らしをしているんだろうか。

以前は豚をあえて月豕さん(旨すぎるときはネ申月豕)と表記したり、うま♡ウンメェ!たらまん~など、独特のハイテンションで溢れる愛を書き連ねるブログが好きだったのだが、最近はあえてトーンを落としたブログが好みである。「麺パツでオーション風味際立つ。スープ非乳化で醤油のキレ強く好み」などと、淡々としたレポートを日々繰り返しているほうが、逆に凄みを感じる。怒りを制御し左腕にため込むことで、冷静さを獲得したモントゥトゥユピーを思い出す。

 

という訳で、今回の件について、様々な方の嬉々としたレポートを読んでいると、さすがに私も行ってみたくなったので、噂の立川店に行ってみることにした。

平日18時過ぎに到着。この段階で行列は15人ほど。最後尾に並び、行列で並ぶ面々をぼんやりと眺めていると、行列に真ん中あたりにSUSURU TVがいることに気が付いた。あの毎日ラーメン健康生活でおなじみのSUSURU TVである。マスクで顔がはっきりとは見えないが、ちょうど先日動画を見ていたので、すぐにピンときた。少しだけおおっと思ったが、そりゃ向こうがあんだけラーメンを食べていれば、ラーメン屋で会うのは別に珍しいことではないと気が付き、すぐに気持ちは落ち着いた。

しかし、行列にはもう一名気になる人物がいたのだ。その方は私の3つ前に並んでいた。年齢はもっさりと蓄えられた白髭で分かりにくいが、50代後半くらいだろうか。髪は薄く長髪で、何より目を引くのは、身長は180cm程度、体重は100kgは余裕で超えるであろうという巨体である。初見で伝わってくる。この方はラーメン二郎の化身だと。

 

行列はあっという間に進み、20分も経たずに入店。店内に4席ほど待機用の椅子があり、そこでカウンターが空くのを待つのみとなった。

先ほどの化身の様子をちらりと眺めると、一之江の○○さん元気にしてる?とか、△△さんの店がホーム(行きつけの店)だけど、今日はこっちに来なきゃと思ってさ~、なんて店主と親しげに会話している。やはり私の予想は間違っておらず、二郎界で顔の知れた存在のようだった。

そして化身の前に運ばれる、すり鉢の様な巨大丼ぶりに堆く積まれた物体。あんなものが本当に食べきれるのかよ。

なんて思っていると席が一気に空いた。もう案内される番だ。……正直緊張してしまった。何せ、化身の横の席も空いているのだ。二郎のカウンターは隣の人との間隔が狭く、あの巨躯の横に座ってしまうと、かなり体をすぼめながらラーメンを食べる羽目になる。何より、猛然と大ラーメンマシマシをむさぼり食らっている人の横で、小ラーメン麺少な目を食べるのは、何だか冷めた気分になってしまう気がした。

 

心配は杞憂に終わり、化身とは離れた席に座ることができた。ちょうど店主がラーメンを作っている真ん前の席だった。私はこういう調理風景を眺めるのが好きなので、いい席に座れてラッキーである。

手際よく6杯のラーメンが一度に作られるのを眺めていると、化身が「ごちそうさん。美味かったよ」と行って席を立った。私はギョッとしてしまった。まだラーメンが出てから5分くらいしか経っていないんじゃないか。もちろん丼ぶりはスープまで完全に空っぽになっていた。

「全然余裕そうですねー」

「いやいや美味いからだよ」

キザっぽい台詞を残し、化身は去っていく。また来てくださいと声をかけながらも、店主は淀みなく手を動かし次々とラーメンを提供する。そして私のもとにもラーメンが置かれた。

 

このロットを捌き終えて、店主は一息付きながらお茶を含んだ。そして呟く。

「……誰だあの人」

 

何てことだろうか!全く化身じゃなかった!

残念に思うと同時に、あのクラスの存在感でも、店主に認知されない二郎界の底知れなさを感じた。

彼は所詮県大会レベルだったのだ。我々が地区大会で見たときは衝撃的に強いと感じても、全国では全く通用していない。そんな学生時代の部活の記憶を追想してしまった。

人に認知されることはこんなにも難しいのだな、そうしみじみ思いながら私は二郎を食べ進めた。

 

 

途中、水を取ってくるのを忘れたことに気がつき、セルフサービスの給水器のもとへ席を立った。そういえばと思い出し、店内をぐるりと眺める。するとカウンターの対岸、一番端の席にてまさにラーメンをすすっているSUSURU TVを発見した。

 

改めて見たら全く別人だった。というか全然似てもいなかった。

人を認知することも、なかなか難しい。

 

最後にラーメンの味については、以下のとおり。

「麺ややデロだがしなやかで美味。スープ微乳化でマイルドな塩味。アブラマシがシャキ野菜との相性抜群」

 

君はそういうことのために生まれてきたのか

ダイソンの掃除機が故障した。

3年ほど前に近所のユニクロでやっていたくじ引きで手に入れたものだ。なんかその日はやたらと頭がぼうっとしていた。寝不足だったか疲れだったか。とにかくあの日は何の思考も働かないまま、ただトロトロと動いていた。何を買ってるのかも曖昧で、無意識にくじを引き、紙を開き1等とあっても何とも思わず、訳が分からないままダイソンの掃除機を抱えて帰った。何ら喜んだ様子を見せず、ぼやっとダイソンを持ち帰る男。店員さんからしたら本当に甲斐のない奴に当たってしまったと思っているだろう。

ちなみにそのユニクロではそれ以降服を買っていない。申し訳ない。

 

そんなこんなで入手したダイソンだが、さすがに機能は優秀で、以来ありがたく愛用していた。しかし、さすがにずっと使っているので、最近は充電の持ちが悪くなってきていて、とうとうパタリと動かなくなってしまった。よく見ると電源ランプが赤点滅をしており、ネットで調べるとやはりバッテリーの寿命とのこと。という訳で早速交換用バッテリーを注文。1万円弱もしたが、本体をタダで手に入れているので全然良しとする。

 

バッテリーが届くまでは少々時間がかかりそうだったので、それまでの掃除をどうしたものかと思案すると、長らく存在を忘れていたルンバに目が留まった。そう。私の家にはルンバもあるのだ。これは職場の先輩から頂いた。貰い物だけで我が家の掃除機事情は非常に充実している。

とはいえルンバは最初の数回使っただけで、それこそ3年近く使用していない。結局この家の広さでは自分で掃除機かけた方がスムーズという話だ。以降、ただダイソンの横で近代的な生活様式を演出するインテリアと化していた。

忘れていて申し訳なかった。今こそ君の出番だ。そう心の中で呟き、スタートボタンを押す。かなり久々の稼働なので、ちゃんと動くか心配だったが、軽快な起動音を奏で、無事走行を始めた。

 

そこからしばらく、まじまじとルンバの走行を眺めていた。しかし……なんというか、非常にもどかしい。全然私が使用していない区域を念入りに往復し、やってほしい部分に全然向かってくれない。やっと行ってくれたと思ったら、途中の加湿器に少し接触し、ぐるりとあらぬ方向へ転換して、再びさっきの場所を掃除する。これは型式が古いからだろうか。絶妙に出来が悪い。もはや棒をつけて、掃除してほしい場所に誘導したくなってしまう。

とりあえずじっと見ているのも違うので、ここはルンバを信用し、その間に洗い物をすませることにした。……が、やはり気になる。さっきから音がずっと同じあたりから聞こえる気がする。結局集中できないまま、ちらちらと様子を伺ってしまった。そして案の定、電源コードを巻き込んで停滞していたりする。しょうがないので電源コードは一旦上に上げて、障害物になりそうなものも、極力壁に寄せた。もう絶対自分で掃除機かけた方が楽だ。

 

……まあでも、なんかかわいいんですけどね。不器用ながら一生懸命走っている感じとか、充電器によろよろと自分で帰って行く様とか、走行終了したときに流れる褒めてくれと言わんばかりのメロディとか。出来が悪いぐらいが愛嬌を感じてしまうというか。やっと目当ての場所を掃除してくれると、それだけで褒めたくなってしまうというか。

でも問いかけたくもなる。果たして。君はそういうことのために生まれてきたのか。

 

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数日後。またルンバを起動してみる。あらかたルンバの邪魔になりそうな箇所は対処し終えているので、この前よりは安心して任せられる。

私が洗面所で歯を磨き始めると、ルンバがやってきた。前回は洗面所の入口にいい角度で進入できず、何度も切り返しながら、ようやくちょっと掃除できたぐらいの難所だ。だが何と今回は一発で成功。しかも壁面に沿って全周を無駄なく掃除できている。これは絶対に洗面所の構造を理解している動きだ。そういえばルンバにはそういう学習機能があると聞いたことがある。

「お前!やるじゃないか!」と思わず声に出してしまった。そして効率よく掃除し終えて、洗面所を後にするルンバ。出来の悪い子が見せた、突然の成長。ただ自動掃除機が自動で掃除しただけのことなのに、私の心は大きく揺さぶられた。やはり君はそういうことのために生まれてきたんだな。

 

その後はというと、私が歯を磨いている間にルンバは4回も洗面所を掃除しにやってきた。絶対さっき褒めたからだ。完全に私にまた褒められたくてやっている。兄さん!俺上手でしょ!どうすか!という声が聞こえる気もしてくる。リビングはまだ掃除できていないのに。……全くかわいいやつめ。

 

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翌日。存外、ダイソンのバッテリーが早く届いてしまった。

もう少しだけルンバを使ってやりたい気がして、ダイソンのバッテリーを替えるのを少し躊躇ってしまう。正直、名残惜しい。最初はまさかこれだけ愛着が湧くとは思わなかった。

でも一方で、ダイソンが復活したら、ルンバはもう使わないことも分かっている。だってそっちの方が圧倒的に便利だから。残酷だがそれは致し方ないことである。ならば、これ以上情が湧くのはお互いによくない。3年後にまた会おう。そんなキザったらしいセリフを思い浮かべながら、ダイソンのバッテリー交換を始めた。

 

そしてすぐに、サイズの合うプラスドライバーが家になかったため中断を余儀なくされた。こういう作業は思ったときにやれないと、途端に強烈に面倒になる。という訳で、まだダイソンは放置されたままだ。それにしても、どうして私の家にはプラスドライバーが全然ないのに、マイナスドライバーは様々な種類のものが次々と見つかるのか。

 

これはもしかしてダイソンが気を利かせて、もう少しルンバとの時間を作ってくれたのではないか。絶対にそうに違いない。

そうやって自分のルーズさに向き合わずに、妄想に逃げている現状である。

 

10号車にて

ふと思い出した話。コロナが流行する以前の出来事である。汚い話なので注意。

 

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忘年会を終えて、新宿駅から中央線に乗って帰宅していた。だいぶ長い時間うだうだと飲んでしまったが、まだ終電の一つ前の電車に乗れた。中央線下りは終電が遅くて助かる。

車内は座れはしないが、立っている人もちらほら程度の混雑具合。この場合、座れてしまうと相当な高確率で寝過ごすため、かえって良かった。かといって立っていようが、そのまま寝過ごすことは往々にしてある。あった。なので意識を途切れさせないよう努める。具体的には、みすず学苑の奇天烈な車内広告をつぶさに読み込んでいた。

 

そして次の中野駅。そこで事件は起こる。

 

中野駅で降りる人は1人のみで、そのあと5~6人が乗ってきた。乗り込む方々は皆、私と同じくほろ酔いの様子である。と思ったら、最後尾からスーツを着た50歳くらいのおじさんが、マリオネットのように体を不安定に揺らしながら乗車してきた。目も虚ろで、とにかく酒臭い。ひどい泥酔状態である。ちょっと心配になるレベル。

案の定、発車するなり、おじさんはぐでっと糸が切れたように崩れて、車内にうつ伏せで突っ伏した。そして嘔吐。どうやらワインの飲みすぎらしく、飲んだものがそのまま出てしまったようだ。固形物がほとんど含まれていないので、いくぶん不快感は減少しているか。だがそれにしても大量だ。ワイシャツは真紅に染まり、一帯は血だまりのようになっている。

私はその光景をただぼうっと眺めていた。そして脳内のある映像が結びつく。

 

 

……SAWだ!!

おじさんの体勢、そして血だまりの感じが、SAWで冒頭から出てくる死体のそれと完全に一致していたのだ。何故か上がってしまう私のテンション。その間に蜘蛛の子を散らすように離れる乗客たち。私は完全に逃げ遅れた格好になった。しかしもう今更なので、次の駅で別の車両に移動することにして、つかず離れずの位置でおじさんの様子をそのまま伺うことにした。

少し落ち着いて観察すると、肩が若干上下しているので本当に死んではいなそうだ。当たり前だが一安心した。とはいえ危険な泥酔状態なのは変わりない。次の駅で駅員さん呼んだ方がいいのかとか、寝ゲロって窒息するって聞いたことあるな、とかいろいろ心配になって考えていると、突如おじさんがむくりと起き上がった。

 

 

……SAWだ!!

完全にSAWだ!!(激ネタバレ)

完全再現されたSAWの名シーンに、私は非常に満足した。どう考えてもこの状況は最悪な訳だが、何かいいものを見たぞという気分にすらなってしまった。

 

しかし、次の瞬間。おじさんが体を起こした際に生じた空気の流れが、エアコンの風に乗って、こちらにまで届いてきたことを感じた。さすがにこれは気分が悪……

 

 

……カシスだ!!

 

私の鼻腔に到達した臭気は紛れもなくカシスリキュールそのものであった。そう、彼が飲んでいたのはワインではなかったのだ。50歳前後と思しきスーツを着たおじさんが、まさかカシスソーダやらカシスウーロンやらで泥酔していたとは誰が想像できよう。

 

完全に裏切られた。SAWばりの衝撃の結末だった。

 

車が汚い。

車が汚い。

そりゃそうだ。もう一年近く、碌に洗車もしていないのだから。ウインドウォッシャーでかろうじての視界を確保しているが、車体は砂汚れが何重にも積層し、ホイールはブレーキパッドの削りカスで茶色く染まっている。扉の開け締めの際にうっかり変なところを触ろうものなら、手が真っ黒に汚れてしまう有様だ。

車に愛情を持って接していないのは、どこからどう見ても明白である。

事実、車には全く興味がない。ただ、故あって山梨県に住む際に、さすがに生活に困るので車が必要になった。そんな時に、ちょうど上司が車を買い替えるということで、安く譲り受けたのである。スムーズに車を手に入れられて非常に助かった。

ただ一つ問題をあげるとしたら、その車が外国製のそれだったことだ。私はただ生活の足が欲しかっただけなのだが、以来、分不相応にスポーティな外車に乗り続けている。

 

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それにしても汚い外車に乗っているというのは、周囲からの心象はかなり悪そうである。おおよそマンションの方々には、ボンボン息子が親に買ってもらっただけ、と思われていると推察する。

というか譲ってくれた上司も近場に住んでいるので、遭遇するのがとても気まずい。メンテナンスノートを見ると、上司は非常にこまめにディーラーに見てもらっていたようで、この車をとても大切に扱っていたことが分かる。そんな愛車が今や砂まみれ、泥まみれの酷い目にあっているのだ。この惨状を一目見ただけで、ああこいつはそういう奴なんだなと思われてしまいかねない。そしてお察しの通り、私はそういう奴なのである。

 

せめて持ち前の走行性能を活かしてあげられれば良いのだが、あいにく私はセーフティドライバーであるため、加速は緩やかに、カーブもGを最小限に、車線はキープレフトと、非常に物足りない運転をしてしまっている。280キロまで示せるスピードメーターが泣いている。

走行面以外にも、何か色々なボタンがあるので、この車に搭載されている機能はまだまだありそうではある。しかしもちろん何にも使っていない。何なら誤って緊急脱出ボタンを押してしまい、運転席がいきなり跳ね上がって上空へ排出されると困るので、極力スイッチは押さないように心がけている。

 

全くとんでもない里親のもとに来てしまったな、と他人事のように哀れんでみたりする。

 

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年の瀬となり、世のお父さんたちが大掃除のプレッシャーから逃れるように洗車を始める頃。私の車は依然汚い。

駐車場に並ぶ車の中でも際立って汚いため、同じマンションの方々にも、こいついい加減車洗えよ、と思われていると推察する。

 

それに対して隣に車を止めているお兄さんの車好きなこと。ブルーのスポーティな車を毎週のように手入れしている。今日も今日とて嬉々として洗車をしていた。私の目には全然汚れは見当たらないのに。いったい何が楽しいのやら。そう思いながらまじまじと眺めていると、私の視線に気がつき、お兄さんは軽く会釈をしてくれた。その際、この車は洗わないのかい?と目で語りかけられた気がしたので、こんな寒い日に洗車なんてしませんよ、と言わんばかりの会釈を返しておいた。

失礼ながら、洗車の何がそんなに楽しいのか、全く理解できない。私は部屋に戻り、先ほどの場面を反芻しながら、最近はまっている耳かきの動画をぼうっと眺めていた。人によっては気持ちが悪いと思われるだろうが、大量に詰まった耳垢がごっそりと取れる瞬間は得も言われぬ心地よさがある。

 

……その時、私はあることに気が付いた。あのお兄さんはこの感覚を求めて車を洗っていたのではないか。

要は車から汚れがごっそり落ちる姿にスッキリ感を得たい、ということである。汚いものが綺麗になっていく過程には、人を惹きつける魅力がある。

そう考えると色々と腑にも落ちた。確かに耳掃除にはまりすぎてしまうと、まだ対して汚れがたまっていないのに、掃除をしたくなってしまうことがある。

 

となると、である。もしかして私の車は、お兄さんの目には宝の山のように輝いて見えているんじゃなかろうか。いや絶対そうだろう。私だって耳の中の汚れがたまっていればいるほどテンションが上がるもの。

つまりあの時のアイコンタクトには続きがあり、この車は洗わないのかい?しないなら俺にやらせてほしいんだけど、という下の句があったに違いない。それに気が付かず、私は何故あんな皮肉交じりの会釈をしてしまったのだろうか。なんて愚かな行動。愚行。2022年最後にして、最大の後悔である。

 

ちらりと駐車場の様子を伺うと、お兄さんはまだ車を拭いていた。チャンスはまだ終わっていない。あのー全然俺の車も洗ってもらって大丈夫ですよ。そう声をかけに行こうと思った。しかし一度提案を断ってしまった手前、すぐに話しかけるのはいくら何でも図々しすぎる。その思いが私の足を止めてしまった。こういう時に変に遠慮することなく、ずけずけと話かけられる方が人生得すると分かっているのに。私にはどうにもそれができない。2023年へ課題を残す結果となってしまった。

 

まあでも、そのうちまた向こうから、車を洗わせていただけませんか、と言ってくると思うので、もうしばらくは汚い車のまま様子を見ようと思う。

 

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特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

レトロニム

自転車を持たずにキックボードを愛用する生活を5年くらい続けていた。言うなれば私はキックボーダーだ。もちろん愛車は最近流行りの電動キックボードではなく、子供が遊ぶ用のあれである。

私はローテクはというか、ガラクタじみたものに愛着が湧く傾向がある。あとストリートカルチャーにも妙なあこがれがある。その二つ要素が変な融合を起こして、キックボード好きになってしまったと思われる。本当にあこがれているのはスケボーなのだが、ちょっと手というか足が出せなかった。

 

そんな私曰く、キックボードの神髄とはライン取りにある。あんな小さな径のタイヤで、しかもクッション性もあったものではないのだ。少しでも道がガタついていると如実に進まなくなってしまう。また、手にも振動が伝わってすぐに痛くなる。可能な限り舗装された道のラインを見極めることが何よりも大切である。理想は白線上を常に進んでいたい。キックボードに乗っていると、白線はレースゲームの上を通るとターボがかかるあのゾーンみたいな感覚になる。

 

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それにしても電動キックボードの登場によって、世間のキックボードへの風当たりは相当強くなってしまった。もともと決して歓迎されるようなものでないのは百も承知だが、よもやキックボードが社会問題の題材になる日が来るとは思っていなかった。ずっと際物の枠で細々とやっていけると思っていたのに。

 

前述のとおり私はガラクタ好きなので、電動キックボードにはそこまでの魅力を見いだせていない。だが、そうは言ってみてもキックボード好きの端くれとして、電動の力を体験してみない訳にはいかないだろう。ということで先日、電動キックボードに乗ってみた。

birdというアプリをインストールし、免許やカードなどの諸々の登録を済ませて、使用するキックボードを解錠する。ここら辺の手続きには特にストレスはなく。料金は開始時に100円、以降1分10円とのこと。

 

乗ってみて最初に感じたのは、想像以上にスリルがあるということ。普段からこの形状の乗り物に慣れている私でも少し怖さを感じたので、戸惑う人は多いのではないだろうか。あとはこの乗り物で車道を走るという感覚にも慣れが必要だ。一方で漕がずに進める爽快感は確かに面白みを感じる。しかしやはり私は従来のキックボードを愛用していきたいと感じた。

という訳で周辺をぐるりと回って返却。5分しか乗っていなかったので、支払いは150円だった。なんだかんだ150円で遊べる乗り物としては非常に楽しめた。

 

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翌日。カー用品店へオイル交換に行った。こんだけキックボードを語っておいてなんだが、普通に車にも乗る。

支払いにクレジットカードを出すと、全然読み取ってくれず、後ろに他のお客さんもいたので結局現金にした。支払い後、磁気とかでカードをダメにしてしまったのかと訝しんでいると、カード会社から電話がかかってきた。

 

曰く、海外から少額の不審な決済があったので一時的にカードの利用を停止したとのこと。

 

一瞬焦ったが、なんてことはない。完全に昨日の電動キックボードである。そういえばbirdはアメリカの会社か何かだった。とりあえずその電話で説明して、すぐに停止を解除してもらえた。

 

しかしこの一件で、電動キックボード側も私を受け入れようとはしていないのだな、なんて思ってしまった。

 

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結局、電動キックボードはこのまま普及していくのだろうか。

普及するのは一向にかまわないが、一番怖いのは電動キックボードが普及しすぎて、キックボードといえば電動という状態になることだ。そうなると回らない寿司のように、従来のキックボードを『蹴るキックボード』と呼ばなければならなくなる。

 

蹴るキックボード。

 

なんか逆にそそられる響きがあるな。

 

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今週のお題「わたしは○○ナー」

 

日々の雑感

最近視力が落ちてきた。

 

先日職場の健康診断を受けた際に、その事実は判明した。これまでの私は変な表現だが、視力検査など全く眼中になかった。普段のグダグダな姿勢によって丸く固まった背中を限界まで伸長させることにのみ必死になっていたのだ。全くのんきなものである。

そしてルールすれすれの背伸びで身体測定を終えた後、血圧測定を行い、視力検査に移った。そして途端に焦りだす。これまでは余裕で答えられていたはずの大きさのランドルト環に、なんだかピントが合わないのだ。もしやこれが目が悪い人の感覚なのか、と一瞬で脈拍が早まった。血圧測定が先でよかった。

 

私は小さい時から視力が良く、それを誇りに思っている節があった。これまでの人生で読書・ゲーム・パソコン・スマホと一通り目が悪くなるといわれる活動を行ってきたが、私の視力はずっと1.5以上をキープし続けてきた。それゆえ私は視力が一生良いままの特別な存在だと驕っていたのだろう。

しかしだ。今回はいつもと全く違う。ランドルト環の存在はそれなりに大きく捉えているのだが、どうにもぼやけて輪郭がはっきりしない。頭を前後に動かすことで強引にピントを調節してなんとか抗う。以前であれば終始くっきりと環の欠けが認識できていたので、わんこそばのようなテンポ感で答えていたというのに。今回はふんわりとした印象しか掴めず、恐る恐る方向をつぶやいた。

 

結局、視力検査の結果は両目とも1.2だった。そこまで視力は落ちていないと思われるかもしれないが、私にとっては歴史的敗北である。結果よりも内容が悪すぎた。こんな闘いをしていてたら、来年には1.0を割る未来まで想定できてしまう。

 

これからの健康診断は丸まった背中を引き延ばしながら、遠くの緑を眺めることにしよう。

 

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近所のスナックに求人のチラシが貼られていた。

「ルックスに自信のある女性募集!」

あまりに潔い募集要項に清々しさすら覚えてしまう。

 

それから1ヶ月後くらいだろうか、スナックの前を通りがかるとチラシは無くなっていた。

きっとルックスに自信のある女性が入ったのだろう。職場のスナック好きのおじさんに教えてあげようと思った。

連れて行ってくれという意味では決してない。

 

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昨日、キャベツと油揚げの味噌汁を作ろうと思った。具材を切って鍋に入れる。その時点で味噌がないことに気がついてしまった。しょうがないので何かないかと棚を探ると、いつぞやの結婚式でもらった出汁パックが出てきたので使うことにした。

出汁パックを具材とともに2分程度煮出して、適当に醤油、酒、みりんで味を付ける。一口飲んでみると実に弱々しいめんつゆの味がした。出汁の風味は感じるが、いかんせん味が薄すぎる。

私は自分の感覚で味付けした場合、適量の2歩手前の塩加減になる。味が薄いことにはそれほど問題を感じないが、味が濃いことを極端に嫌うためだ。とはいえさすがの私でも今回のスープは味気なかったので、めんつゆを追加して味を整えた。そして、入れた瞬間に思う。

 

これなら最初からめんつゆで味付けすれば良かった。